夏は特に母を思う

2年前の暑い8月、なのにもう氷のように冷たい母の手をにぎって
意識もない母に明日は私のピアノ発表会だから今夜はこれで帰るね、
と病院をあとにしたのが生きている母をみた最後になった。

考えたらその時には、もうあちらの世界へ足を踏み入れていた母

家に着く前にまた病院から呼び戻された。

急いで向かったが母はあっというまになくなっていた。
その時のショックが今もフラッシュバックする。

毎日のように今も母の顔が思い出される。

その3分の2が、病気をしてからの顔。
または寝たきりになってからの顔。

病気が長かったから、もう元気なときのことは思い出せないのかしら。

また8月は母が生まれた月でもある。

母は洋裁が上手だった。
いつも私のことをほめてくれた。
ピアノがうまいのよって。ピアノの先生をしているのよ。
優しい子なのよって。
しっかりしているのよって。
ほんとうに元気だったころは
いつもほめてくれていた。

母には最後まで長女が離婚したことを言えなかった。
心配させたくなかったんです。

まほちゃん、赤ちゃんは?仲良くやっているの? 
と亡くなる7か月前まではまだ話ができ
長女のことを気にかけてくれていた。

いつも仲良くしているよ。赤ちゃんはまだいらないみたい、
と私はうそをつきっぱなしだった。

お母さん。

長女が本当に赤ちゃんができたの。来年にはお母さんになるよ。
私もお母さんが、がっかりしないようにピアノの先生をずっとしているのよ。
お母さんに今も自慢してもらいたいよ。

お墓にしかお母さんに会いにいけないけどまた報告にいきますね。